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今から150年前の明治元年1868年8月(新暦)の出来事

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今年2018年は明治維新の1868年から150年目ということで,150年前に遡って月々の出来事を見ていきます.
1868年8月の出来事は以下の通りです.


1868年8月4日(慶応4年6月16日),戊辰戦争: 磐城(いわき)の戦い 白河口の戦い
1868年8月13日,ペルー(当時)アリカで大地震(M9.1,死者25,000名)
1868年8月18日,ピエール・ジャンサンが太陽光の中に未知の元素を示す輝線スペクトルを発見(後にヘリウムと同定)
1868年8月23日,清国揚州で反キリスト教暴動(揚州教案)

戊辰戦争は江戸から東北へ向かいます.戦争当時は陸奥国でしたが,戊辰戦争後の1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日))に5分割されて,


陸奥国 りくおう
陸中国 りくちゅう
陸前国 りくぜん
岩代国 いわしろ
磐城国 いわき

となりました.磐城の戦いとは分裂後の磐城地域(現在の福島県浜通り)で行われた戦いをそう呼んでいます.
磐城の戦いは,慶応4年(1868年)6月16日から8月7日まで行われました.

慶応4年(1868年)6月16日から8月7日までの推移(Wikipediaより抜粋)
6月16日:新政府軍1000名が平潟港に上陸.(第一陣)
6月17日:関田付近で新政府軍と同盟軍の間で遭遇戦.
6月20日:平潟港に新政府軍(岡山藩兵302名,柳河藩317)到着.(第二陣)
6月24日:同盟軍が平潟西の八幡山を占拠.交戦の末,退却する.
6月25日:棚倉城を新政府軍の板垣退助が落とす.
6月28日:新政府軍,海岸線側(泉藩攻撃)と本街道側(湯長谷藩)に軍を二分して攻撃開始.
同日,泉陣屋,湯長谷館は新政府軍に占拠される.この頃,同盟軍が磐城平城に増援1大隊が到着.
6月29日:新政府軍に笠間藩200名(第三陣)が加わる.新政府軍,本街道の部隊が平城に攻撃をしかけるも失敗.同盟軍側汽船,平潟を砲撃.
7月1日:新政府軍,海岸線側の部隊で磐城平城を攻撃し,失敗する.
7月3日:新政府軍,四条隆謌を仙台追討総督に任じる.平潟に鳥取藩6小隊300人,岡山藩80名,郡山藩70名(第四陣)が到着.また,鳥取藩の河田景与(通称,河田佐久馬)が参謀として参加.
7月9日:新政府軍に薩摩藩469名(第五陣)が加わる.
7月10日:米沢藩の大隊長江口縫殿右衛門が3小隊とともに四倉に到着.
7月11日:米沢藩の先遣3小隊,磐城平城を退去.新政府軍,棚倉支隊の板垣退助が磐城平城攻め督促のため平潟来訪.
7月12日:新政府軍に鳥取藩700余名(第六陣)が加わる.
7月13日:磐城平城攻防戦が始まり,同日深夜落城する.
7月17日:新政府軍に郡山藩120名(第七陣)が到着.
7月22日:小名浜港に新政府仙台追討総督の四条隆謌が到着.続いて長州藩4個中隊(約800名),福岡藩440名,岩国藩200名,広島藩(不明),久留米藩(不明)らが到着(第八陣)した.新政府軍の広島,鳥取両藩兵,広野へ出兵.
7月23日:広島藩先発隊,末続村にて中村藩の奇襲を受けて撤退.広島,鳥取両藩はこれを挽回すべく前進し,広野にて戦闘を開始する(広野の戦い)24日早朝,中村藩は撤退して新政府が広野を保持する.
7月24日:新政府軍に福岡藩442名と津藩95名が加わる.(第九陣)約5,000名となった新政府軍は軍を二分.約2,000名を三春藩方面へ派遣する.
7月25日:新政府軍の広野陣地,中村藩の奇襲を受ける.
7月26日:広野において本格的な野戦が起こり,長州兵の突撃で新政府が勝利.中村城に向け,大きく前進する.
7月27日:新政府軍に熊本藩489名が加わる.(第十陣)
7月28日:新政府軍,夜ノ森に到達.この頃,仙台藩兵は前線から中村城へ引き上げを始める.
7月29日:新政府軍福岡藩と津藩が高瀬川を越え,浪江に到達するが相馬中村藩の反撃を受け,被害を出しつつ退却.同日,同盟軍の二本松城が激戦の末,陥落.
8月1日:新政府軍,浪江の中村藩兵を包囲攻撃.猛攻の前に,同盟軍は瓦解する.
8月2日:仙台藩,中村藩主相馬誠胤と後見役相馬充胤に仙台への撤退を促すもこれを拒否.
8月4日:中村藩,新政府軍へ降伏の使者を送る.
8月6日:新政府軍,中村藩の降伏を受諾.
8月7日:総督四条隆謌が中村城に入り,浜通りを巡る一連の戦闘は終結する.

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戊辰戦争 白河口の戦いー激戦と慰霊ー【本編】


会津藩vs長州藩「日本を創った2つの魂」

白河口の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

磐城の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

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江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示

江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示について整理しておきます.日本の歴史的事実は明治5年末まで旧暦表記されるのが一般的です.ところが,現在は新暦を使用しているので,各月の季節感が少しずれています.

また,西欧史の表記と日にちが違います.ここでは当時の季節感を理解するために新暦表記を主にしてみました.明治初期の日時を扱う際には,新暦旧暦切り替えによる以下のポイントを把握しておく必要があります.

1. 新暦とは現在使われているグレゴリオ暦(太陽暦)を表します.グレゴリオ暦はヨーロッパで1582年10月15日(金曜日)から実施されました.

2. 旧暦とは明治5年12月2日(1872年12月31日)までの天保暦(太陰太陽暦)を表し,翌旧暦の明治5年12月3日は新暦の1873年1月1日で,明治6年1月1日となりました.

3. 日本で明治への改元は慶応4年9月8日の出来事です.

4. 明治への改元は新暦1868年10月23日となります(当時は新暦を使っていなかった).

5. この年,慶応4年1月1日が後の(旧暦)明治元年1月1日となります.新暦では1868年1月25日.

6. 新暦1868年1月1日は旧暦では慶応3年12月7日

明治5年末までは旧暦表示しかなかったので,現在のように旧暦・新暦変換の感覚はありませんでした.明治6年1月1日以降から現在のカレンダーと月日が一致しますが,明治5年までは旧暦なので月日の表示には要注意です.西洋史の日付と異なっています.

順番をたどって整理して考えれば理解できますが,勘違いしやすいです.時系列で表示すると以下のようになります.

新暦 —————- 旧暦
1868年1月1日 —– 慶応3年12月7日
1868年1月25日 —- 慶応4年1月1日(明治元年1月1日)
1868年10月23日 — 慶応4年9月8日(明治へ改元)
1872年12月31日 — 明治5年12月3(翌日が新年元日)
1873年1月1日 —– 明治6年1月1日

今日はこれまで.ではまた.

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