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1823年(文政6年) 8月12日シーボルト初来日

投稿日:2018-08-16 更新日:

江戸時代に来日した西洋人学者でもっとも有名な人はシーボルトですが,正式な名前は,フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796年2月17日-1866年10月18日)とやや長い名前です.

フォンと言うのは貴族階級だったことを表しています.シーボルト家は代々医学界の名門で,彼もヴュルツブルグ大学で医学を学びます.

その後,ネース・フォン・エーゼンベック教授を通して植物学に目覚め,後に日本での動植物の標本採集の基礎が完成します.

1823年当時の日本はいわゆる鎖国中で,ヨーロッパではオランダとだけの交流をしていました.オランダ軍に軍医として来日したシーボルトはオランダ人になりすまして入国しますが,発音が変だと通士に疑われます.なんとか切り抜けて,1823年の初来日の

1828年のシーボルト事件で国外追放処分となるまでに,以下のようなさまざまな活動を行っています.
1823年8月 – 来日
1824年 – 鳴滝塾を開設し,高野長英・二宮敬作・伊東玄朴・小関三英・伊藤圭介らに蘭学を教授する.
1825年 – 出島に植物園を作り,1400種以上の植物を栽培する.
1826年4月 – 第162回目のオランダ商館長(カピタン)江戸参府に随行し,将軍徳川家斉に謁見する.
1827年 – 楠本滝との間に娘・楠本イネをにもうける.
1828年 – シーボルト事件で国外追放される.

帰国時に日本で収集したものは以下の通り膨大な分量になりました.
文学的・民族学的コレクション5000点以上
哺乳動物標本 200
鳥類 900
魚類 750
爬虫類 170
無脊椎動物標本 5000以上
植物 2000種
植物標本 12000点を持ち帰る

これらは当時ヨーロッパの日本研究に大きく貢献しました.

その後,日本は1854年に開国、1858年に日蘭修好通商条約締結,そしてシーボルト追放令も解除されたので,31年後の1859年に再来日します.シーボルトの残した記録は当時の日本を知るための貴重な資料となっています.

持ち帰った,生物標本、絵図等は日本の生物について重要な研究資料となり、模式標本となったものも多々あります.

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植物の押し葉標本は12,000点で,ヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニと共著で『日本植物誌』を刊行しました.その中で記載した種は2300種もあります.植物の学名で命名者がSieb. et Zucc.とあるのは、彼らが命名した種です.日本のアジサイもヨーロッパの園芸界に広まりました.

シーボルトが日本で見つけて命名した植物

サクラソウ Primula sieboldii
ミセバヤ Hylotelephium sieboldii
ヘビノボラズ Berberis sieboldii
キセルアザミ Cirsium sieboldii
ウスバサイシン Asiasarum sieboldii
スダジイ Castanopsis sieboldii
チョロギ Stachys sieboldii
ゴマギ Viburnum sieboldii
ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii

参考:
鳴滝塾

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E6%BB%9D%E5%A1%BE

シーボルト記念館

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8

シーボルトの生涯とその業績関係年表1(1796‐1832年)西南学院大学 国際文化論集 第26巻 第1号 155-228頁 2011年9月

http://repository.seinan-gu.ac.jp/bitstream/handle/123456789/415/is-n26v1-p155-228-miy.pdf

西洋医学のシーボルトの鳴滝塾跡―シーボルト宅跡

シーボルトの墓

今日はこれまで.ではまた.

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